2007/04/21 (土)

忘れえぬ人三人! (3)

美和さん 母上がフッ〜と溜息をついて一言「ほんまに 神田さんがこの旅を企画せねば・・・そう思った気持ちよ〜う解るわ・・・・もっと大勢の人が見て 知らんとな・・・」と呟かれました。それはアウシュビッツ収容所の出口での事です。

ーー1940年、戦前ポーランド軍の基地があったオシフィエンチム市(ドイツ名 アウシュビッツ)軍撤退跡が収容所に選ばれた。町から離れ増設 隔離ができ そして鉄道の要衝でもあったので全ヨーロッパからの政治犯 囚人他を集めるに一番適していたのです。1942年からはナチスによりヨーロッパにおけるユダヤ人多量虐殺 絶滅センターと化しましたーーー。

中谷剛さんーーやっと彼に会う事が出来ました。2006年毎日新聞の記事で「公式ガイド唯一の外国人」として紹介されていました。いつかお会いしたいと思っていたのです。
冷静で 丁寧な語り口調でガイドをしながら 彼は言う「何故このようなことが起こりえたかを。 そして気づいたら今も自分達がそのような体制にいつしか繰り込まれていやしまいか?日本も過去に何をしてきたかについても 目を向けて欲しい」。

「日本人の訪問者がとても少ないのです。とりわけ若者が・・。今韓国あたりが増えてきました。そして欧州全体でも過去の過ちを見据えよとしている動きを感じます。ほら 今すれ違ったでしょう、彼らはドイツ人です。真剣に60数年前に自分達の同胞がしてきた歴史に向き合おうとしています・・・」


「アンネフランク 杉原千畝氏等〜〜 個人に対する関心 興味から歴史に入っていくのはとても良いと思います、最初から全体を学問として解ろうとするのは大変ですからね。」
私はなんだかホッとしました。

収容された人々により植えられたポプラは枯れることなく歴史の証言者の如く 雄雄しく緑の大樹になっていました。

次回は 87歳の収容所生き残りのスモーレンさんとガイドのモニカさんを紹介しますね。
     (写真:ガイドの中谷剛さん{毎日新聞より})







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