2011/10/30 (日)

引き取り手なき遺品

このテントの中にはご家族の思い出の品々がまだ沢山展示されていました。ご家族の“宝物”だろう品々は引き取り手ないままテント小屋で冬を越すのでしょうか。
ボランティアの方が「どうぞ、中にお入りになってご覧下さい」と仰いましたが私の足は動きませんでした・・・。

船もまだ放置されたまま

戦争を知っていらっしゃる世代の言葉「この津波は戦争以上だよ。大型漁船が住宅の屋根にのし上げたりなんてことはなかった・・・」

今なお・・・荒浜地区

亘理郡荒浜地区は再三報道された所でした。少し被災地をこの目でと思い、早坂ご住職が兼務されていた徳泉寺が無惨にも陰も形も無いからと伺いその場所へタクシーで行くことにしました。

運転手さんも身内を亡くし家屋消失した被害者。もっと海側へ行き仮設住宅も見たら〜〜という提案でした。やはり土地の方、色々ご案内くださり「どうか実地に立ち見てください、この現状を東京の皆さんへ伝えてください」と。

震災から234日目。片付いたとはいえこの状態でした。瓦礫の山は至る所に。荒浜地区全体が押し流され雑草が力なく生えている住居跡、子どもらの声無き無人小中学校、海辺の一等地に立てられた老人施設は殆どの方が死亡、主無き建物が彼方にみえるだけ・・・

暗然としてしまい、カメラを向けれない事がしばしば。でも気持ちを伝えたくここにアップさせてください。
  写真:(234日目の現場)

宮城県へ

12日の公演日会場で募金をさせていただいた義捐金を届けに、宮城県亘理郡山元の徳本寺へ参りました。

寺の木々は8分目紅葉していました。3月震災の頃は芽吹いていたのでしょうか・・・・。堂内は沢山の遺族の方々、遠路からの参詣者で満員でした。早坂文明ご住職の法話に耳を貸し、歌う尼さん“やなせなな”さんの透明感溢れる歌声にどんなにか皆さん心癒された事でしょう。

義捐金を渡す時間も作って戴きました。「これからも皆さんと心寄せ合いながら」と言うと帰りに「有り難うございます。有り難うございます」と何度も頭を下げてお帰りになられたのです。どんなに私のほうが励まされたことでしょう〜〜〜。
写真:(届けましたよ)




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