2012/09/01 (土)

カンペーイ(5)

全て無事終了すればどこの国も一緒!!
カンペーイ、カンペーイの連発。ここ大連では宴会中何度も何度も「カンペーイ♪」を繰り返します。

席を移動しては何方とでも杯を合わせます。本当に苦労した甲斐があった、とスタッフも肩の荷を降ろして心から寛ぎました。
何はともあれ、大連の皆さんと力を合わせてこの地で2ステージが終えられた、これは奇跡に近かったかも知れないのです。

初日旅装を解く暇なく会場へ着けば、機材不備!何度も連絡しあったのに〜〜と一時恨めしく・・・一体どうしたものかと思案に暮れたときもありました。こうして大連の方々と和やかな時間が
過ぎていく事に唯感謝するのみでした。
写真:(カンペーイを何度したことでしょう!!)



大連大学にて(4)

流暢な日本語を話す宋協毅副校長のもと、日本語言学部の生徒さんたち300名余は実に静かに舞台を観劇してくれました。さすが昨日の中学生らと会場の醸し出すムードが違い、お陰で私は落ち着いて最後まで気持ちよく、楽しく、頑張って演じ続けられました。

今までの訪中公演ではなかった拍手があるシーン起き、一瞬わが耳を疑いました。それは牢獄で私が自分の犯した(やってきた〜〜)罪に気付き謝るシーンでした。
そうか〜〜やっぱりな〜〜。結構納得がいき、清清しい気持ちになれたのです。  写真:(公演終了後大連大学前にて)

深々と〜(3)

スタンディングオベイションが中列で起き、私は思わずわが目を疑いました。主催者の大連市文化藝術聯議会の宋延平主席・元文化局長李氏、馬志歴校長ほかさすが文化人だ、場慣れしていらっしゃる〜〜私の正直な感想です。

松原先生たちは結構字幕他、不備な点を容赦なく指摘してくださいました。確かに中学生くらいの団員にはテーマ的にも無理があった事は否めません。少し苦い初日でもありました。
写真:(ここまで力添えくださった皆さんに私は心からのお礼を)



大連芸術学校では(2)

中国全土から選りすぐられた幼い雑技団員生。私は休憩時間に体育館らしき所で訓練中の彼らの稽古風景をを拝見しました。まさしく曲芸!よ〜〜くあんなに体がしなやかに曲がるもんだな・・・・。

私のこの舞台の内容が判るかな〜〜同じ藝術関連の仲間じゃないか、大丈夫々と言聞かせ、開演を待ちました。前列に低学年、後列には役者・脚本家ほか多々大連の要人らしき方のお姿が垣間見れます。日本からの松原・井関元教授も臨席です。いつの間にか満席!  写真:(藝術学校にて)



この時期だからこそ〜〜(大連〜北京公演記1)

長い工事中でした・・・・。

フト夜空を見上げると満月。月並ですが北京の空も、大連の空も、そして天寿を全うすべく、必死に生きている母の病室にもこの冴え冴えとした月は隔たりなく輝いている事でしょう。

機を一にしたような連日の日韓の政治的諸問題噴出にはやや、ウンザリ気味です。今日も言われたのです。
「あなた、この時期に中国公演をしなくて良かったですね〜〜!」と。確かに今だったら諸事情をかんがみて私も延期&中止をしたかもしれません。

5月公演で中国の皆さんが汗水流して奮闘、お力添えいただきました事に感謝しつつ、大成功の興奮を抑えつつ冷静に公演記をまとめてみようと思います。

大連市藝術学校は著名な俳優・雑技団生を送り出した由緒ある学校。ただ歴史があり、古色蒼然の会場故に照明機材など殆ど使い物にならず、訪中早々、軽く下見の筈の私のスタッフは大慌て。夜になり京劇会場から調達してくる始末。イヤハヤ到着早々「先が思いやられるッ〜〜」の心境でした。

でも大連の根本新材料有限公司(後援会長の会社)の社員も場違いながら大勢お手伝いくださり、何とか山はくぐり抜けたものの・・・本番はどうなる事でしょうか。
写真:(皆で大奮闘!野口舞台監督もどうしたものかと口あんぐり)




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