2012/10/13 (土)

84歳!お大事に(5)

もう心臓もガタガタでね・・・。
横浜在の西岡瑞江さんはポツリと一言仰いました。

横浜戸塚から更にバスで40分の団地が帰国後のお住まいとか。淡々とお話なさる彼女は正真正銘の中国帰国邦人(残留婦人)です。筆舌しがたい人生を歩まれましたがもう今は沢山の孫・ひ孫に囲まれて幸せと言い切られます。
いつか彼女の自叙伝をこの欄で知られせられたらと思います。どうかお元気で長生きして下さい。

沢山の方々のお力添えで無事終了しました。感謝です!!
写真:(杖をついた方が西岡さん)

無事終了!良かった!!(4)

終演後樫原さんがご挨拶なさいました。
これまでのいきさつ、舞台への願い、そして本会へのお誘い・・・など。

私もお礼の挨拶を反芻していたのですが、どうも口に出たのはほんのちょっぴり。ここで主催者、そして何より足を運んで下さった観客の皆様へ心からお礼を申しあげます。

沢山届いた感想は
「初めて見た。眠ろうにも興奮して寝付かれない。場面を色々思い出していたら、そのうち寝たようだ(70代 男性)」
「66年前、あんな状況でも、人間は生きた、生き抜いた。今この時代を生きるという事は〜〜。変わっていないのでは〜〜を教えてくれた」(50代 男性)。

”出会いの妙・出会いは財産(たから)”を感じ帰途に着いたのです。関係者の皆様、本当にお疲れ様でした!
大阪堺からお出での皆様、横浜からいらしてくださった残留婦人西岡さん母娘さん、ありがとうございました。謝々 謝々。
写真:(主催者から花束を)

樫原啓子さんと〜(3)

会場入り口で今回の舞台実現までに奔走下さった理事の樫原啓子さんと、万感の想いで記念写真を・・・・。

丁度1年前、武蔵野公演を高谷瑞枝さん(国分寺並木公民館講座の受講生)に誘われて、初めて観劇下さった樫原さん。彼女は観劇後「この舞台を自分の母校の大学の学術藝術振興会の藝術公演に持ちかけよう」と思われたそうです。

企画会議など経て正式に決定したのは春4月頃でしたかしら〜〜。中国公演を前にしてましたが、私は秋の文化芸術シーズンにこの舞台を又新しい方々に観ていただける!日中友好40周年の記念にもなる!!
そう思い、この日を心待ちにしていました。

3時間後は観客の皆さんに会える。
 写真:(樫原啓子理事と)

案内掲示板ほか〜学術藝術公演 (2)

会場までにどれだけの看板、案内掲示がなされていた事でしょう!大学、主催者の振興会の心遣いに感謝の気持ちで一杯になりました。広報課の方々も手分けして正門で私の到着を待っていてくださったり〜〜〜。きめ細やかな配慮に頭が下がります。

私たちもよく言いますね〜〜稽古8割、本番2割と。
今日のこの瞬間迄で主催者側はもう8・5割は済んでいる、OKです!あとは私達の「伝えたい!」その想いの舞台にかかっているのです。  写真:(いくつも見受けられた看板)





学術藝術振興会主催藝術公演〜(1)

それはそれは、何方の日ごろの行いが良かったの?
そう言いたい程の絶好の「菊日和」。

中国公演以来の舞台なので、緊張と「やるぞ!」という昂揚を抱えて構内へ。そうそう、昨夜からFAX、手紙、メールで応援を戴き、それらを持参してだから余計私の胸は高まります。

多摩丘陵の高台に位置し、構内には赤松・竹林など点在して自然が至る所に〜〜。武蔵野の面影を偲びつつ散策するだけで落ち着き、1号館〜4号館と「学究の場」に歩を進めます。
写真:(頑張れメール)





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